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東北支部                            2018.10.12  鈴木浩司  投稿

            
                 『 古希になって 』

    ОBの皆さん元気ですか。いま私は、生れ故郷の秋田市郊外の田園地帯で暮らしております。

     子供時代には、当たり前のように田植え稲刈りを手伝わされ、中学を卒業して

    学生寮に入ってからも、長男との理由から、集落の行事には参加してました。
 
    学校卒業後は、実家に戻ることなく東京で社会人生活をスタートさせ、

    農業とは無縁の生活が定年まで続きました。


     そんな私が45年ぶりに戻った故郷で、妻とふたり農業の真似事をして10年が経ちました。

    帰郷前には、亡き父母名義のJAの正組合員を私名義にしました。

     もともと兼業農家で規模も小さく、稲作を委託していた本家の後押しもあり、農作業への

    不安はありませんでした。
しかし農業は、規模拡大を名目に、戦後の農地解放以来の

    転換期を向かえております。農業法人に田畑が集約され、専業農家は今後の生活設計をどうするのか、

    その対応に追われています。地元ではJAのあり方も含め、連日のように報道されてますが、

    年金暮しの私には難しすぎて、見解を求められても困惑するばかりです。


     いま私は自家消費用の野菜野菜つくりに併せて、ダリアの栽培に夢中です。

    今年の春には、越冬の難しいダリアの球根をご近所に配り喜ばれました。

     もう一つの趣味は、江戸時代の旅人で紀行家の菅江真澄の足跡をたどる事です。

    毎月、県立博物館に通って「真澄遊覧記講読会」に参加もしております。
 

     博物館は甲子園大会準優勝の金足農高のすぐ近くにあります。この拙文が掲載され
るころ、

    吉田輝星くんはどの球団に指名されているのかなー。

                                             以上、鈴木 浩司

  

              菅江真澄と峠の茶屋                              丹精込めたダリア

             

「あの人は今」

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