『 古希になって 』
ОBの皆さん元気ですか。いま私は、生れ故郷の秋田市郊外の田園地帯で暮らしております。
子供時代には、当たり前のように田植え稲刈りを手伝わされ、中学を卒業して
学生寮に入ってからも、長男との理由から、集落の行事には参加してました。
学校卒業後は、実家に戻ることなく東京で社会人生活をスタートさせ、
農業とは無縁の生活が定年まで続きました。
そんな私が45年ぶりに戻った故郷で、妻とふたり農業の真似事をして10年が経ちました。
帰郷前には、亡き父母名義のJAの正組合員を私名義にしました。
もともと兼業農家で規模も小さく、稲作を委託していた本家の後押しもあり、農作業への
不安はありませんでした。
しかし農業は、規模拡大を名目に、戦後の農地解放以来の
転換期を向かえております。農業法人に田畑が集約され、専業農家は今後の生活設計をどうするのか、
その対応に追われています。地元ではJAのあり方も含め、連日のように報道されてますが、
年金暮しの私には難しすぎて、見解を求められても困惑するばかりです。
いま私は自家消費用の野菜野菜つくりに併せて、ダリアの栽培に夢中です。
今年の春には、越冬の難しいダリアの球根をご近所に配り喜ばれました。
もう一つの趣味は、江戸時代の旅人で紀行家の菅江真澄の足跡をたどる事です。
毎月、県立博物館に通って「真澄遊覧記講読会」に参加もしております。
博物館は甲子園大会準優勝の金足農高のすぐ近くにあります。この拙文が掲載されるころ、
吉田輝星くんはどの球団に指名されているのかなー。
以上、鈴木 浩司
菅江真澄と峠の茶屋 丹精込めたダリア
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