『 古希を迎えて 』
平成30年9月で古希を迎えました。70年も生きてきたのかと今更ながら驚かされます。
退職時はまだ元気溌剌で、還暦もあっと言う間に過ぎ去ってしまいました。古希を迎えて特別健康保険証や
敬老パスなどが市役所から届き、自分も老人の仲間入りをしたのかと改めて思うようになりました。
将に年金生活ですが孫もでき、この歳まで病院通いもなく健康でおられることに感謝しています。
退職後は老齢の母親の介護とデイサービス補助に、毎月2週間京都から丹波へ車で帰っていました。
いよいよ老人の一人暮らしは無理とケアマネージャーさんや田舎の医者から指摘され母の特養老人ホーム入居を
決断したものの、どの特養老人ホームも100人以上の待ちで、4年後やっと入居しました。
その母も92歳で3年前亡くなり今は一息ついたところです。
今は母を父のもとへ旅立たせ、その後の天国へ送り
出し法事、墓参り供養、お寺との付き合いや村の住人との付き合いなど、やっと人並みのことをしている様に思います。
今後の課題は、実家の山林、大規模農家に貸した農地の管理、空家になった母屋の管理などをどうするかです。
また田舎の古い風習に縛られることなく村といかに上手に付き合うか、多少の義理は欠いてもそこそこにしていこうと
考えるところです。それもこれも次男で都会に出たものの、思いがけず長男の役割を担うことになったことから
きたものです。これからはやっと自分自身の終活の準備をしようかなと考えるこのごろです。
■近況
定年当初はこれからは自分一人で何事もできるようにと 多少のネット通信、ネット通販ができるようにと
教室に通いました。弱体化した体力を回復させる為、今は週3回ジムに通っています。
現役当時中国大連の人民広場で体験した気功術、太極拳を再度ジムで習っています。心と身体のバランスを考え
調整しながらの生活がリズムに成ってきたように思います。
退職後思いがけず柴犬を飼いはじめ 愛犬(りき)との桃山城公園の散歩が何よりの朝の気分転換です。
今もまた時々帰省して田舎の畦道を散歩すると、子供のころ大家族が賑やかに暮らしたことが懐かしく思い出されます。
将来認知症にならないように、又弱っていく脳を活性化するため毎週1~2回、囲碁にも通い勝敗に一喜一憂しながらも
夢中になって時を忘れることもあります。
地元のハイキング会、飲み会にも季節ごとに参加し、三和OB会のハイキングと共に結構忙しくしています。
気心のしれた者同士で同志会を作り国内、海外にも出かけております。
私の来年の課題は自家製のベーコン、
ハムづくりです。時間はかかってもやり遂げたく思っています。
妻は妻で香港時代からの墨絵を続けています。四季折々の花や草や動物、昆虫にと題材を見つけては仲間と
楽しくやっているようです。長年やっているせいかなかなかのレベルに到達しているのが羨ましいくらいです。
■現役時代の思い出
私の三和時代は懐かしいサンパック、アコーダー、NEドア、アルミ框ドアの建材店、工務店への販売で始まりました。
ルートセールスの基本を勉強させて頂いたことには感謝しています、
その後海外部に移動を命じられてからは建材の海外直販売を始め 台湾への販売の糸口をつかむため
現地ゼネコンへのコネクション作りで台湾全土を駆け回ったこと、現在の合弁相手の安和金属のオーナーである
互助営造のオーナーと出会い合弁契約に至ったのは嬉しい思い出です、
その後市場を求めて香港へ、大型物件の受注と同時に独資で三和香港会社の設立となりました。
この地で多くの物件の受注に恵まれ、また優秀な現地社員の助けを得て1997年の香港返還まで現地に根を生やした
現地企業として成長し、今尚その躍進する姿を見ると感慨深いものがあります。
先般もアジア旅行途中香港新空港に立ち寄り、新空港、空港線鉄道の各駅ビルへのSD、SS設置で苦労したことなどを
懐かしく思い出しておりました。
付け加えるに97年の中国への香港返還式典を現地で見られたことは印象深いです。
香港駐在中香港事務所傘下の上海事務所設立にも参加できたのもいい思い出です。その後の本社主導の宝山グループ
傘下企業との合弁準備に少しながらも参加できたことは嬉しく思います。
1998年に帰国後は海外事業の責任者としてインドネシア合弁の サンワマス社タイの合弁のサンメタル社の
運営にも携われたことはいい経験になりました。
以上
地域遠足会・奈良山野辺の道 三和OB会・万博公園
海外旅行会・セブ島 夫婦旅行・ベトナムハロン湾船上
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