「あの人は今」 No30
古希を迎えて 古希を迎えて のタイトルで寄稿をとの話を支部長から連絡を受け、自分もそんな歳になったかと。事情があり、私は50歳の 平成12年、中部地区事業部工務課を最後に早期希望退職し、以後20年間で計4回の転職を重ねる事になりました。 ただただ年月の過ぎる速さには、驚くばかりです。 在職中より退職後の方が、人件費削減に貢献し、活躍したと言われないかと冷や冷やするところですが、OB会に参加しても、 優しい方ばかりで、これまでそのような事を耳にした事はなかったと記憶しております。 この投稿を機に、お褒めいただく事が 増えるかもしれませんが。 遡る事、平成9年、関西に住んでいた両親を現在の居住地 愛知県瀬戸市に呼び寄せました。母はすでに癌の終末期で同居を 始めて3ヶ月くらいで亡くなりました。 それでも近くにいる事ができて良かったと。そのような事から、私の家族も同居しているもの の高齢の父親を以後一人にしておくわけにはいかないと言う思いが、退職の大きな決め手となりました。当時同じように退職した 人たちを見ると、長年単身赴任をしていた人が結構多かったように思います。 今も40代、50代の人達が両親の介護の為に苦労していたり、離職したりと同じような事は続いているようです。人生色んな事が 自分の都合と関係なく、訪れるのは、皆同じのようです。 さて、運が良かったと言うか、4回の転職においても失業期間が殆どなかったのは、幸いでした。退職後、民間企業を3社渡り歩き、 最後に行きついたのが、現在の愛知県住宅供給公社となります。勤続7年目となり、順当であれば令和3年の3月末日を以て退職 予定です。その時、71歳になることを思えば、良く働いたもんだと。それでも、この歳になると、金銭的余裕はなくとも時間だけは結 構自由になるようになりました。子供たちも、それぞれ独立し、9歳、7歳の孫2人の成長が楽しみな日々でもあります。最近は、近場 の観光地、名所で行った事のない場所を中心に1ヶ月に1回行く計画を立て、道路マップに印をつけることで、足跡を振り返っています。 普段は、映画鑑賞、音楽鑑賞、美術館めぐりも織り交ぜながら、英語関連の団体二つ、ジャズソングのサークルにも所属、仕事も しながら、結構忙しく、また楽しく過ごしています。 3月は台湾4日間、9月は長野県3日間、11月はOB会で三重県等々に行く機会もあり、仕事以外では、気ままな生活を満喫しています。 50年来続けて来た英語の勉強は、外国人客の多い現在の職場では時として役に立つこともありますが、幸い、外国へ一人旅しても、 不自由しないことが、今になって一番良かったと思っています。海外旅行も、パッケージ旅行ではなく、飛行機、ホテルも自分で予約し、 自由な行程で動く方が性に合っています。短期海外旅行は、スーツケースなしで気軽に出かけたりします。退職以降も、ご縁があり、 OBの方達とお会いする機会があり、嬉しく思います。 全国におられる元仲間の皆さんとも、いつか、お会いできる機会があればと願っています。 11月 京都ウォーキング 12月 OB会 ウォーキング 9月の八方 北尾根高原 上高地 大正池、 11月孫たち初の海外旅行(台湾) |
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