「あの人は今」    No49

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中部支部                                 2020.11 増田英彦 投稿

                 「現在の私」    

    三和シャッターOB会の皆様令和年は新型コロナ禍の影響で大変な年になっておりますがお

   変わりございませんか。

    
昭和41年入社の私 平成10年に昭和フロントでお世話になるまで中部地区で勤務してまいり

   ました。赴任先では色々な方々にお世話になりました。特に昭和5410月からのトヨタ自動車

   工業様へのクイックシャッター工事では、本社技術開発、岐阜工場、支店工事、設計の皆さんに

   はお世話になりました。また営業課の皆様にも大変ご苦労をかけました。寒さが増すこの季節に

   なると当時を思い出し、今日あるのも皆様のおかげと感謝と謝意の気持ちで一杯になります。


    さて本題の「現在の私」は身体のアチコチに少々不安を感じながらも仲間からのお誘いや、片道

   二時間程掛けて豊橋に謡曲の稽古に出かけるのを楽しみにのんびり過ごしております。
月三回の

  豊橋行きは特に楽しみにしています。

   私の謡曲歴は父親の影響で学生時代に少々、昭和41年に転勤した豊橋で観世流女性師範

  の先生(入門時34歳美人、熱燗好き)に入門、名古屋では清水建設名古屋支店の謡曲部に

  入部させて頂き、東京では東武カルチャーセンターの謡曲教室に入会しました。東武カル

  チャーセンターの発表会で渋谷区松濤の観世能楽堂で能「菊慈童」の地謡に出演(添付写真)

  出来た事は大変貴重な経験で良き思い出です。定年後名古屋に戻り豊橋の先生に再入門し現

  在に至っています。謡曲歴は50数年になりますが上手
くなりません。豊橋行きは稽古と言うよ

   り昼食時に先生と頂く熱燗を楽しみに通っている様なものです。

    今年は外出自粛で稽古日も少なくなり残念ですが早期の終息を祈るばかりです。

   末筆乍ら新型コロナ禍 皆様のご健勝をご祈念申し上げます。

                                   令和1111
                                   中部支部 増田英彦
 
      ①   東武カルチャーセンターでの発表会
        場所 渋谷区松濤の観世能楽堂能 「菊慈童」シテの菊慈童と
        地謡前列4人はカルチャーセンターの生徒、
私は前列の左端です。
        ワキ、囃子方、地謡後列はプロの能楽師の先生
          

      ②   その時の番組表
          

      ③   自宅での稽古