【東京進出の頃】
コロナ禍の中、不安と不便を抱えてお過ごしの事とお察しいたします。
私は退職して13年になりました。思い起こせば昭和36年尼崎工場で社長の自宅に
呼ばれ東京進出を告げられ転勤を命じられました。その時この東京での事業が失敗
したら会社は存続しなくなると言われ大きな不安と責任を感じました。7名が選抜
され、故高山留三郎常務に連れられ板橋区の東京工場へ来ました。
スレ-ト葺きの工場が1棟ありその他は野天でした。ロ-ル機やシャ-リング機が
設置された時はまだ屋根が無く雨天の日はロ-ル班やシャ-リング班は作業出来
ない状態でした。工場2階の片隅に藁マットの2段ベッドで寝泊まりし、風呂はシ-ト
を張ったトラックで東武練馬の公衆浴場への毎日でした。当時のエピソ-ドを語れば
何ペ-ジも必要になります。一緒に上京した7名も半数の人たちは故人となっています
さて、近況は18年間活動した大変多忙だった民生委員も終了して身軽になりました。
スポーツ少年団(野球)も40年以上活動しています。孫のような子供達から元気をも
らいながらボケる暇もないようです。
皆さんコロナなんかに負けないで頑張りましょう。
|
|