青息吐息で迎えた喜寿
三和OB会の皆様、お元気でお過ごしの事と拝察いたします。只し昨今の新型コロナは大変ですよねぇ 今なお盛んな新型コロナ禍
の中で・・・本来新型とは何か新しい期待感すら持ってしまう響きが有りますが、しかしコロナの新型はあまり歓迎できません。
私も三和を退職以来きてほしくも無い病に見舞われて七転八倒を繰り返しております、こんなはずでは無かったのに・・・。
退職当初は一時ゴルフにのめり込み、自分のラウンドも去ることながらトーナメントボランティアにも申込み、関西方面で開催
される競技の大半に参加、PGA、LPGA、シニアツアー、チャレンジ、ステップアップ、地方大会、青少年競技大会等でお手伝い
(観戦)していました。
その間には親しくなった選手も多く居て、一番の友達は川岸良兼プロ(私の名前、年齢、病歴等も知っています)池田勇太、
H・リー、Jチョイプロ達とは会場で逢うと必ず会話をするまでに、尾崎直道プロとも。女子プロとは親しい選手は少なく、良く
話すのは山崎千佳代プロ位かな、青木瀬令奈プロとも話しましたよ。
トーナメントで一番の思い出は松山英樹プロが、プロになって初めての優勝をした時に私が最終日のキャリングボードを持って
FWを一緒に歩いた事でしょうか。当時のキャディーは進藤さんで、今も覚えているみたいです(先日SNSで写真載せたらいいね!
が来ました)当日貰ったBallにはサインもオンネームも無しのただのSRIXONのボールでした。
私は現役時代にも病気長期入院の経験も有りますが、退職後初の大病は64歳時に手術した頚椎症性神経根症でした、左手の激痛
と痺れで首を切開頸椎を切断し、椎間板を除去後腰の蝶骨を切り取り頸椎に差し込み、上からチタンの板で固定ビス止めすると言う
難しい術式でした、手術は無事成功しました。そして続けていたボランティア活動中の6年後70歳時に、又も不幸に見舞われたと言
いますか今度は腎盂尿管に癌が見つかりました、七転八倒の始まりです、取りあえず左腎臓尿管を摘出手術、続いて癌の化学療法で
3か月の入院と点滴との激闘です、癌患者の皆様感想通り強烈な苦しみを耐えてようやく退院し、通院しだして1年後今度は膀胱に
癌発生、で3回の手術と入退院の繰り返し挙句72歳で、右腎盂尿管にも癌発生が見つかり右腎臓と膀胱も摘出となりました、結果
尿が作れません出せませんで選択肢は一つ、生涯週3回の人工透析を続けるのみです。
苦しいじゃ無いですか、悲しいじゃ無いですか、雨が降ろうが槍が降ろうが爆弾が落ちようが透析は休めません、休めば命が終
わります。それも乗り越えようと頑張ってる最中に今度は腸のヘルニアが現れて又入院手術です、最早この程度の手術など軽いも
のだとばかりに比較的気楽に終了。処がまだ終わっていなかった、74歳ついに心臓まで、ある日ラウンドから帰って就寝手前急に
胃か胸が痛みだし救急外来に。検査の結果胃潰瘍が見つかるも最早治りかけ、只し心臓の冠動脈に異常が有りとの事で緊急入院し
カテーテル治療を行うも、すでに3本とも詰まっており手に負えず、大学病院への転院を勧められ大学病院での検査結果は4か所
のバイパス手術が必要との見解、3本しか無い冠動脈で4か所のバイパス?主治医によると、症状を考え年齢を考慮すると今回の
手術は普通の3倍~4倍以上のリスクがある旨説明を受ける。
バイパス手術とは足の血管を摘出し(約1m)心臓冠動脈から動脈への回り道を確保する事らしい。これ又苦しみながらのチャ
レンジでした。一応成功でラウンドも開始まで漕ぎ着けボランティアも参加、当然人口透析は如何なる場合も継続中、後どこまで
命が持つのか、鬱にもならずによく頑張っていると自画自賛。もぉ無いだろうと思っていた矢先、今度は76歳の8月これ又ラウン
ドから帰った夜、就寝前先日来の腰の痛みが治らず整形外科で診察していた腰に激痛が走り救急車で救急外来へ、精密検査の結果
心臓の動脈弁に異常確認し、又も大学病院へ転送入院手術となりました。動脈弁を人口弁に取替え、只今自宅リハビリ中ですが今
年に入り肺炎救急搬送も、何時になったら終わるのか、本当はもっと皆様に定年後の勇気を与える内容の記事を書きたかったので
すが、ラウンドもボランティアも中止中の今残念ながら寂しい報告となってしまいました。
しかも喜寿の祝いにと自分で買ったのがキャディーバッグまだ使えずに新品のまま あ~ぁ
松山英樹、プロ初優勝(つるやOP) スタジオアリス女子OP
宮里藍 のボール イ・ボミ のボール 川岸良兼 のボール 倉本昌弘 のボール
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