『経験した人生』
三和OB会の皆様お変わり有りませんか。
人間は誰にでも人生には節目があり、区切りがあると思います、今回は私のその事をお話ししたいと思います。
私は昭和16年7月17日に、大阪市東淀川区十三で生まれ今年の7月で81歳になりました。
太平洋戦争が始まる5カ月前に生まれ、して区の指示で米軍の爆撃が必ずあるからと
疎開することになり父母と妹と4人で大阪府豊中市野畑に引越ししました。私が3歳の頃
でした、疎開先では防空壕に入ったり、米軍機のB-29が花火ように夜の西の空(大阪、
神戸)方面に爆弾や焼夷弾を雨のように落としていたのは覚えています人間は生きている
ただそれだけで、価値がある大変な時代でした。
それから戦争が終わり、小学校に入学し昭和39年に大学を卒業できたのは22歳でした。
ここまでが私の、人生の第一段階でした。
昭和39年の頃は、日本の景気は大変悪く就職難でも有りました、しかし運よく三和
シヤッタ-に入社することが出来ました、最初の勤務先は 三和シヤッター大阪北営業所
で、所長は元専務の滝井さんでした。 [琵琶湖にて(高校二年生)]
そして3年間程大阪で勤務した後、転勤の辞令が来まして広島県へその後3年前後の周期で--福山-岡山-新居浜-高知-
鹿児島-東京-大阪へと転勤して、転勤中の昭和48年に結婚し、故郷の大阪には25年後に帰り52歳になっていました。
そして平成13年60歳で定年し、5年間延長があり平成18年に退職しました。ここまでが私の人生の第二段階です。
私の人生の第三段階は、65歳で定年し会社を離れて16年経過81歳の後期高齢者です。
私は、子供がいませんので妻と2人で残りの人生をのんびりと、楽しく旅行したり、観劇等に行くことを望んでいました、
しかし 妻は突然、令和3年1月に内臓の病気で約1年程入院し 悲しいことが起こり、令和4年3月24日に天国に旅立ち
ました。妻が亡くなり当分の間はストレスを他の人にぶつけているようでしたが、今は少し落ち着いています。
人生は長いようで、振り返ると本当に短く感じます、残された時間をどのように生きていくかを考えながら、これからも
過ごして行きたいと思っています。
現在の私の楽しみは、OB会関西支部で8人の幹事会の皆さんと色々な企画をし、歴史探訪ハイキング、食事会、
特に三和OB会ゴルフコンペ、高齢にも関わらず元気です。
OB会のみなさん コロナや熱中症もまだ終息していませんので気をつけてお過ごしください。
[関西支部・新年会(2019年1月)]
[関西支部・OB会旅行]
[関西・岡山合同コンペ]
[作州武蔵カントリー倶楽部にて]
関西支部 成瀬全弘
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