「あの人は今」    No90

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北海道支部                                 2023.01 山田裕史 投稿

           『100年企業事業継承完了』

 
 三和シヤッター北海道OB会の皆様お元気ですか? 元金属課及び営業2課でお世話になりました山田裕史です。ご無沙汰致しております。
 
 私は現在、横浜崎陽軒様のシウマイ弁当の経木折箱を主力とした木製食品容器の製造販売会社、有限会社三共の取締役会長を務めています。
 (今年4月末に代表取締役社長を退任し現職となりました)

  この度、OB会の吉田支部長より事業継承までの道程・決意・近況・今後の抱負等寄稿依頼が有りました。
 社長の激務と重責から解放されしばらくほっとしている時に苦手な寄稿依頼には思わず腰が引け逃げ出したくなりました。しかし吉田さんには
 北見営業所在籍時から事業部長退任時までの間大変お世話になったものですからお受けせざるを得なかったというのが本音です。


  この機会に三和シヤッター退職後の自分を振り返ってみる事にしました。拙い文章ですがご容赦ください。

  〈三和シヤッター退職(3年4月)〉
  H 3年 5月 (有)三共入社常務就任(42歳)
  H 3年11月 建設業(建具工事業)開始(三和シヤッター代理店看板掲示)
  H 7年12月 代表取締役専務就任(46歳)
  H10年 1月 代表取締役社長就任(49歳)


   〈社長就任時に自分に課した事〉
  会社を潰さない。(自分の家族と従業員とその家族の生活を守る。)
  会社を豊かにする。(内部留保を積み上げ会社をより安定させる。)
  従業員とその家族の生活をより豊かにする。
  (従業員を大切にして従業員のレベルアップを図る。)

  主材料(木材)安定供給ルートの開拓(インドネシア及び中国の現地工場の開拓)
  木製食品容器(木製折箱)仕組加工業界の№1になる。
  世に無い新製品を開発製造新たな業界へ販路を開拓する。
  三和シヤッター製品を地場の役所工事・JA物件等、全てに納める。
  創業100周年祝賀会を自分で企画実行する。(2020年、70歳)
  2020年まで社長を続け後継者にバトンを渡す。
  (それまでに次の世代が10~20年と安定経営が出来る仕組を作る。)

  社長退任後も自分の足で行動出来る健康な体力を残す。

   〈社長在任中を振り返る〉
  会社を次世代に継承完了。
  内部留保を大幅に充実、金融機関の信頼度を大改革することが出来ました。(H27年より道銀引き受けの私募債発行を継続中)
  従業員へ夏・冬の賞与の他に決算賞与支給連続8期継続中。
  インドネシア・中国、それぞれ3工場(良質材の安定供給工場)を確保。
  令和元年、弊社最大のユーザーである横浜崎陽軒様のシウマイ弁当折の出荷数が900万食分突破、およびチャーハン折が170万食分で、
   計1000万食分突破。
5月に全国経木仕組組合長に就任。)
  材木にOPPフィルムをラミネートした強度を有する複合材の食品容器(折箱等)を開発、「和器」の商品名で2001年に新業界に販路を
   立ち上げた。

  ⑧2020年2月10日 北見市のホテルで創業100周年祝賀会を企画開催致しました。
   (三和シヤッター工業(株)より藤田事業部長様 古瀬所長様が出席)
    祝賀会後のコロナ禍の影響で製造工場の危機的売上減を津別町庁舎の建て替え工事、津別町消防庁舎の建て替え工事など田舎では100年に
   1度の大事業が着工になり金属建具工事、ガラス工事全て受注アルミサッシ及び硝子以外は全て三和製品で納める事でコロナ禍を乗り越える
   事が出来ました。
(2021年3月竣工)
   お陰様で2021年4月の決算は社長になって売上利益共最高の業績を上げる事が出来ました。(従業員への決算賞与も過去最高額を支給)
   運の強さを改めて確信しました。

  ⑨後継者が安定経営を出来る様に増産と安定供給の為の将来の布石にと、2016年にロシアのクラスノヤルスク市に木材加工機械(スライサ
   ー等)指導工場を立ち上げました。
現在はロシアから撤退し、中国牡丹江市(ムータンチャン市)に工場を立ち上げ、2021年秋より
   本格出荷となり売り上げ増に大きく貢献しています。


   〈事業継承者との出会い〉
   私の最後の仕事となります後継者問題につきましては近くに適任者が見当たりませんでしたが、弊社の仕事を理解し従業員を大切にする信頼
   出来る企業のオーナーである事、全従業員の継続雇用、客先への継続安定供給、主要仕入れ先との継続取引、輸入木材のインドネシア3社と
   中国3社の製造委託工場との円満手続き等々、自分の体力と気力を維持できる1~2年内に全てを教え、引き継ぎを終わらせなければなら
   ないと考えていました。

   実は2019年に100周年記念事業として従業員の研修旅行を弊社折箱の最大ユーザーである横浜崎陽軒のシウマイ弁当工場見学をしました
   その際に弊社1番の取引先である新宿区四ッ谷のM社の専務様に御案内戴き、従業員一同との会食にもお付合い戴きました。

   後日、御礼の御挨拶に伺いましたところ、M社の社長様と専務様(御子息)より「もし後継ぎが居ないなら後を引き受けさせて貰えないか?」
   との申し入れを受けた次第です。

   思い掛けなく素晴らしい御縁に恵まれ現在に至っています。なるべく早く引継ぎを完了させ、次の人生をスタートさせたいと思っています。

   妻に感謝〉
   三和時代はもちろん、社長として24年間ずっと全力で私を支えてくれた妻に本当に感謝しています。
   仕事にかまけ子供たちの出産にもち会えず、子育てや家事一切を任せ、私が思い切り自由に頑張って
   こられたのはひとえに妻の御蔭だからです。

   私に欠けているところをいつも補ってくれる妻を心から尊敬しています。
   残り短い人生、今後は妻と気ままに美術館巡りなどを兼ねて旅行し、行く先々の酒や肴を共に楽しめ
   たらどんなに幸せな事でしょう。



   足腰が元気な内に、今まで会いたくてもなかなか会えなかった人にも会いに行こうと思っています。

   私にとって三和時代の17年間が私を最も鍛え育ててくれた重要な時期であったと思います。


   三和シヤッター北海道OB会の皆様、御世話になり有難うございました。

   またいつか元気でお会い出来る日を楽しみにしています。皆様のご健康を心よりお祈り申し上げて
   私の近況報告といたします。


                                         山田 裕史