「あの人は今」    No93

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  九州支部                                 2023.03 坂井由幸 投稿

                  『天職』

  拝啓 三和シヤッターOB会の皆様お元気ですか?特に少数派の建材出身の方お元気ですか?
  私は今も元気に仕事してます。

  26歳だった1976年の年末に前の会社の
  先輩でもある石井良一氏に誘われて福岡建材
  センターに中途入社しました。当時の所長が
  小田昌造氏、九州支店長が池田隆氏、建材
  事業部長が若かりし髙山俊隆専務でした。

  出社初日に道を間違えてしまいこっぴどく
  叱られたのが鮮明に思いだされます。

  福岡から北九州また福岡から宮崎そして神戸
  (神戸は建材センターではなくスチールドア
  センターみたいでした)赴任2年目の終わり
  の117日は阪神大震災も経験しました。

  神戸に行ってふたを開けてみたら、長年厳しい
  内容であったことに唖然とし、最善を尽くし
  たが赤字が出て当時の関西支店長から降格で
  大阪建材センターに行ってくれとの指示。

  嫁さんに話したら「お父さん、恥を忍んでまで
  会社にしがみつかんでよかよ」との事。

  ちょうどその頃三和エクステリアの石井支店長
  から熊本で三和エクステリア中九州販売のオー
  ナーが空席になっており会社を辞めて挑戦して
  みたらと提案され、同じ三和シヤッターグループ会社
  だし人生いっぺんこっきり、社長になってみるのも
  いいかと実家の久留米に近い熊本を選びました。

  子供達も宮崎から神戸に行くときは行きたくないとあれだけ
  泣いたのに九州に帰ると言ったら全員賛成でした。
  福岡から宮崎は都会から来たとチヤホヤされ宮崎から神戸に
  来たらカッペカッペといじめられたみたいです。

  
いろんな所に行ったせいか長男は営業バリバリ出来て長女も
  横浜のみなとみらいに若くして事務所を出している弁護士
  (東大法学部卒)に嫁ぐことが出来ました。

  建材一筋の18年間の勤務でしたが自己退職で退職金4
  カットがきつく資本金を親兄弟から借りまくりました。
  
  熊本に行ってみたら赤字の沈みかけた泥船会社でしたが
  コツコツ真面目にやってどうにかなってきた時、リーマン
  ショックで三か月程で一千万の負債をかぶり片腕と思って
  いた課長に当時一番売上が多かった店を持って独立されたり
  体調面でもヘルニアを発症して動けなくなるわでどうにか
  なるさのB型人間と思っていたがうつ病になり弱り目に祟り目とはこの事だと倒産を覚悟しましたが、捨てる神あれば
  拾う神ありで国の中小企業対策で2000万円の銀行融資を受ける事ができ命拾いしました。
  
  一から出直しと人数も最小限の4名と身軽になった事が
  功を奏して生き返りました。販売先を中間業者から地場
  ハウスメーカーに切り替えた頃、人聞き悪いですが熊本
  地震で売上倍増になりました。
  三和シヤッター工業()との共同出資で連結決算ですので
  利益貢献できるのが何より嬉しい。また今年からYKK製品
  も三和シヤッター工業()福岡エクステリアセンター通しと
  なり年間15千万円程の売上計上できるようになりました。
 
  私は三和シヤッターの営業時代、営業日報・営業会議が嫌で
  しょうがなかったので計画は作っていますが後は何もやって
  いません。こんなずぼらな経営で27年間よく続けてこられた
  と思ってます。

  今でも健康で仕事をしているから嫁さんとの年2回の旅行、
  月23回のゴルフ、毎日の晩酌が楽しみです。
  とにかく毎日が充実して楽しいこんな気持ちで仕事ができる
  嬉しい面白いエクステリアの仕事という天職に会えて良かった
  です。そろそろ長男に事業継承しようと思っていますが元気な
  内は会社に邪魔しに行きたいです。

  嫁さんも私も現在楽しく仕事できるのは、三和シヤッターに入ったお陰と感謝しています。
  これからも三和シヤッター愛、髙山俊隆愛を継承していきます。

  皆様も健康第一で人生楽しんで下さい。         敬具


  追伸 
  自慢話ばかりになりますが来年正月は100回記念の箱根駅伝を富士屋ホテルの予約が取れましたので現地応援です。

                                       九州支部 坂井由幸